「9月入学」議論について思うことを、つらつらと。

今日は、四谷アドバンスクラスがスタートするまでは、じっくり作業の1日です。

 

そんな中、このところ話題になっている「9月入学」の議論について、考えていました。

 

「9月入学」については、

現時点では、首相も文科大臣も、ひとまずは慎重な姿勢をとっているそうです。

 

この9月入学の議論については、

簡単に、「こうしちゃえばいい」というようなものではなく、

考えれば考えるほど、難しいテーマなのかな、というふうに感じてきていますが、

 

遅れたカリキュラムを取り戻すため、

学校行事についても実施できるようにするため、

というような視点も、9月入学のメリットとしてあるようです。

 

反面、9月をスタートとすると、四季に合わせた教科書の学習カリキュラムも変更を迫られることになります。

小学生の理科の学習のスタートが「春をさがしてみよう」なのがしっくりくるような気もします。

 

「春」=「始まりの季節」という四季の感覚は、

9月入学になることによって、自然と変わっていくものなのでしょうか。

 

 

経済的な側面と、

教育的な側面と、

感情的な側面が、

それぞれに入り混じっている「9月入学」に対する議論だとは思います。

 

 

そして、制度を考える側としては、

「感情論」は抜きにして語られるでしょうし、

むしろ、そうあることが求められるのだろうな、というふうには想像しています。

 

 

ただ、

制度移行の際に、

小学校入学のタイミングをずらす過程で、

幼稚園などでの既存の学年が分離させられてしまう、ということについては、

無視して欲しくないな、というのが、

あくまでも個人的な「感情論」です。

 

(もし、同じ学年の「4月生まれ」の子だけが、ひとつ上の学年になる、としたら、どう感じるのでしょうか。「飛び級」だと考えたら、悪い気はしないのでしょうか。

今までの同級生と切り離されるような措置について、未就学の子どもたちだったら、特にショックを受けることなく、すんなり受け入れることができるのでしょうか。)

 

 

9月を新年度とすることへの経済効果(9月入学を進めると、新卒の採用のタイミングも含めた企業の年間スケジュールも変更が必要となるでしょう)の方が、考えなければいけない要素としては大きいことはわかりますが、

制度変更の影響を受ける「小さな当事者」のことも、考えた上で議論を進めていただけたらな、と願うところです。

 

 

ただ、この9月入学の議論が、どのような決着となるかを見る以前に、

今回の9月入学議論について、すでに評価できることが1つあるとすれば、

 

今回の議論の発端が、大阪の高校3年生がインターネットで始めた署名活動だった、という点です。

 

(おそらく)選挙権を持っていない(であろう)高校生のはたらきかけが、

国政に影響を与えている、ということは、まぎれもない事実です。

 

「学生」というまさに「当事者」の立場から、

見事に、政治参加を果たしている、とも言えるでしょう。

 

何も行動しなかったら、この流れは起こっていなかったかもしれません。

 

そのように考えると、

「主体性」ということが、いかに力を持っているか、ということも感じています。

 

小学生の皆さんからしても、

10年もしたら、世の中に対して同じような働きかけができるかもしれないですし、

ひょっとしたら、それは、今すぐにだって、できなくないかもしれません

 

当然ながら、それは、成人である私たちにも言えることです。

 

 

緊急事態宣言が明けたとはいえ、

新たな社会のあり方を、全世界が模索していく「これから」において、

 

「どうありたいか」を問いかけ続けることは、

ますます重要なことなのではないかと感じています。

 

そんなことも、胸の奥に秘めつつ、

今日も、「上質な学びの時間」を追求していきます。

 

四ツ谷アドバンスクラスの皆様、

本日も、よろしくお願いします。

 

 

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藤田和彦