「満点」のその先の世界へ。

本日は、高田馬場でアドバンスクラスでした。

 

1クラス目のお振替クラスで、

たまたま、参加者が3年生のみだった、ということもあり、

時間を目一杯使っての、「問題演習」と「解答解説」をおこないました。

 

 

「満点を取るだけでは、つまらないですよ。」

 

3年生のみのアドバンスクラスでは、

国語の問題演習に取り組みました。

 

参加の全員が、

時間内に余裕を持って問題を解き終わり

ひととおり、見直しもした、というところで、

ちょっと暇そうにしている様子もあったので、

かけた言葉が、上記の言葉です。

 

加えて、お伝えしたことは、

過去のブログ記事『マークシート式「漢字問題」の微差が大差になる「大切な習慣」』

の内容と同じことについてです。

 

せっかくなので、余った時間を使って、

「すべての選択肢の漢字を書いてみよう」

という取り組みをおこないました。

 

選択式の問題で正解することができても、

いざ、漢字を書こうと思ったら、「意外に書けない」ということを実感します。

 

そして、多くの場合は、

「分からない」を、そのままにしてしまいがちです。

 

問題自体に正解してしまったならば、なおさらです。

 

それが、学びをそこまでで止めてしまいます。

 

 

つまり、

「正解だった」というだけで、喜ぶのは、

学習のレベルとしては、「まだまだ」ということなのです。

 

たとえ、テストで「満点」を取れたとしても、

そこで、満足してしまったり、

テストの時間の使い方を、そこで終わらせてしまうのは、

非常に、もったいないです。

 

 

特に、学力がついている皆さんにとっては、

 

テストの際に、

「ひととおりの問題を解き終わった時間」

が、頻繁に発生することになります。

 

その時間の過ごし方が、

後々、大きな差になってきますから、

そろそろ、皆さんも、余った時間の使い方を覚えましょうね。

 

といったお話をさせていただきました。

 

 

これは、

「点数だけがテストの評価基準(つまり他者基準での評価しかしていない)」

というスタンスでは、けっして至ることのできない境地です。

 

「正解したか、どうか」ではなく、

「どのように正解したか」を、判断の基準にします

自分の中で、テストの問題に対する採点基準が別にあるのです。

 

その視点を持つようになることで、

テストの点数は、

実際の学力を測る上では、「ただの飾り(目安)」でしかない、という感覚を持つことができます。

 

 

……ちょっと、何言ってるかよく分からないですね。

 

 

具体例を挙げて言い換えるならば、

「テストの点数は78点だった。でも、実際のところ(自分の採点基準で)は52点。」

といった(裏の)採点を、自分でできるようになる、

ということです。

 

こうした、「テストの流儀」みたいなものは、

やはり、ある程度のレベルに到達しないと、伝えても意味がない

というよりむしろ前向きな学習を積み上げる上で逆効果になりかねないのですが、

 

そのレベルでお話をすることは、

ある意味、私、藤田の「本音」でもあり「本気」モードでもあるのです。

 

一緒に学習に取り組む、というからには、

ここまでは、伝えておきたい、という、

学習における「真髄」の部分です。

 

 

今日、ご参加いただいた3年生の皆様は、

全員、年長さんの頃から一緒にお勉強をさせていただいてきた皆様でしたが、

 

まる3年と少しが経って、

ついに、ここまでお話ができるようになったのだなあ、と思うと、

感慨深いものがありました

 

これから、みなさんが、どんどん、学びのレベルを高めていって、

立派に成長をしていって、

そのうち、私なんかは、当たり前のように抜き去っていくんだろうな、

そうなってほしいな、

と、皆さんの未来が楽しみで仕方がありません。

 

 

来週末も、アドバンスクラス があります。

 

来週は、通常クラスとして、ふたたび「問題演習」に取り組む予定です。

 

さて、来週は、どんなお勉強ができるでしょうか。

楽しみにしながら、1週間を過ごしたいと思います。

 

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