節分を終えて、暦の上では、もう春です。

本日は「節分」でした。

 

「鬼は外!福は内!」

 

皆様のご自宅でも、そんなかけ声とともに「豆まき」をしたり、

 

南南東の方角を向いて、無言で「恵方巻き」を食べたり、

 

あるいは、歳(数え年)の数だけ、豆を食べたり、したでしょうか。

 

季節の行事を、味わいながら過ごすことも、大切ですね。

 

 

さて、

今日は、ちょっとだけ気になってしまった「どうでも良い話」を書いてみようと思います。

(勉強とは、ほとんど、関係ありません。)

 

節分の豆まきで、「鬼は外!」と、豆を投げつけられる「鬼」ですが、

 

よく描かれる鬼の頭には、

硬そうな「ツノ」が生えています。

 

あの「ツノ」は、

どういう経緯で、生えてくるようになったのでしょうか。

 

進化論的に考えると、

ツノは、外敵から身を守る「武器」として発達したり、

転じて、「強いオス」としてのアピールポイントとなっていることが考えられます。

 

ですが、

よく見る鬼の「ツノ」は、

頭の上に、飾り程度に生えているだけで、

外敵を退けるほどの武器にはならなさそうなサイズです。

 

あの大きさのツノで突くくらいなら、

鍛えた腕っぷしで、ガツンとやったほうが痛そうですし、

ましてや、「鬼に金棒」という言葉があるように、

いざというときは、ツノよりも、重い金棒を使いそうなものです。

 

 

と、考えると、

鬼のツノは、かつては武器として使われていたかもしれないものの、

もはや武器としての用をなしておらず、

一般的に描かれている鬼のツノは、(発展途上なのではなく)徐々に退化していっている最中、と考えた方が良いかもしれません。

 

 

また、 

「鬼に金棒」という言葉も、気になるところです。

 

「鬼に金棒」というのは、

「強い鬼が金棒を持ってしまったら、もう手がつけられないくらいに圧倒的な強さになってしまう。」

といった意味ですが、

 

当の「オニ社会」の中でも、

「金棒」の登場は、ある種、革命的な出来事だったのかもしれません。

 

金棒の登場により、

鬼たちの戦力は、大幅に向上したものの、

その代償として、立派なツノを失っていった鬼の「弱体化」を嘆く声も、あがっていたのかもしれません。

 

あの鬼ヶ島にも、

「最近の若いもんは、鉄の棒なんぞを振り回してばかりで、ツノを磨いておらん。もし、金棒がないときに敵に襲われたら、どうするつもりなんじゃ。」

なんて言っている「昔気質の鬼」が、いたかもしれませんね。

 

 

「鬼に金棒」という言葉が生まれた、古典の世界では、

強靭な肉体と、それによって扱うことができる重い武器の使用が、「強さ」を象徴するものとなりましたが、

 

現代においては、

「金棒」では近代兵器にはかなわないかもしれません。

 

そうすると、

オニたちの社会にも、金棒に代わる「武器」が誕生しているかもしれません。

 

現代に鬼が存在しているとしたら、

「鬼に〇〇」の、「〇〇」には、いったい何が入っているでしょうか。

 

 

などと、取り止めもなく思いを巡らせてみましたが、

上記の一切が、まったく実用性も生産性もないことです。

 

そんなこと、分かってはいますが、

たまには、良いのかな、と思ってみたり、しています。

 

 

明日からは、暦の上では「春」ということです。

 

どんどん、暖かくなり、過ごしやすくなる季節が来るのが、

今から、楽しみです。

 

そして、明日は水曜日、四ツ谷アドバンスクラスの日です。

 

明日も、集中して学習に取り組めるのを、楽しみにしています。

 

 

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藤田和彦