「苦手意識」は、まったくの「幻想」であるという知られざる現実。
昨日は、四ツ谷アドバンスクラスでした。
ゴールデンウィークの最終日、
連休中の「お休みモード」から、
平日モードへの切り替えをすべく、
じっくり、学習に取り組みました。
苦手意識は「ただの幻想」である。
突然ですが、
このブログをご覧の皆さんは、
勉強が「得意」でしょうか、「苦手」でしょうか。
勉強は「好き」ですか、それとも「嫌い」ですか。
皆さんのお子さまは、どうでしょうか。
勉強が「得意」という人もいれば、「苦手」という人もいるでしょう。
科目によって、「得意」「不得意」が違うことも、あるかもしれません。
さて、そんな「得意」「苦手」という意識ですが、
いずれの場合も、
それは、「自分が、そう思っているだけ」なのです。
あるいは、「そう思わされているだけ」と言っても、良いかもしれません。
過去、何かしらの原因や「きっかけ」があって、
その教科を「得意」と感じたり、「苦手」と思ったりしているのですが、
その思いに、現実が引っ張られているに過ぎません。
かなり突拍子もない話のように感じる方もいるかもしれませんが、
これは、実際の経験則にもとづくものです。
私自身のことを振り返ってみたとき、
幼少期から、「勉強は好きだし、得意だ」と思っていたほうだったと思いますが、
さてその実は、
いたって、「普通レベル」の小学生でした。
全国規模の模試を受けてなかったから分からなかっただけで、
実際に模試などを受けたとしても、その成績は、大したことなかっただろうなと、
今あらためて振り返っても、そう思います。
要するに、
私の思っていた「勉強が得意」などというのは、
はなはだ「勘違い」であったわけなのですが、
幸いにも、それを「勘違いだよ」と訂正されることのないまま育ったことが、
のちに無理なく学力を積み重ねていけた原因だったと思っています。
むしろ、
「勉強が得意」という、すてきな勘違いをしていったおかげで、
結果的には、その勘違いも真実味を帯びていったのかな、とも思いますが、
その「勘違い」をそのままにしてくれたのが、私の両親であり、
そのことには、当時も、今も大変感謝をしています。
「得意」も「苦手」も、どっちも「勘違い」なら、
どうせなら、素敵な方の「勘違い」をする方が、その結果も有意義なものになるはずです。
そんな考えを持っているので、
私は、たとえ誰かから、
「勉強が苦手で、、」という相談を受けたとしても、
その言葉を受け止めこそすれ、
決して、その言葉を信じるつもりはありません。
むしろ、
たとえ「勉強が苦手」という確信があったのだとしても、
それが「勘違い」かもしれないと思うに足る証拠を、
ひとつ、またひとつ、と、示してみようとすら思います。
「実は、才能あるんだ」ということを、
「再発見」してもらうのです。
長年の「積み重ね」で塗り重ねられた「苦手意識」であればあるほど、
払拭するのに時間はかかりますが、
それは決して、「まったく不可能なこと」ではありません。
じわじわ、じわじわと蓄積していった「前向きな勘違い」が、
いずれ、勘違いの領域を超えて、
確信めいた現実に変わっていきます。
そうなることを、私は知っています。
お子さまの「得意」「苦手」の意識を作っているのは、
特に、お父さま、お母さまからの、日常で繰り返されるフィードバックによるところが大きいです。
「うちの子、〇〇が苦手なんです。」という言葉や、
「あなたは、〇〇が苦手だね。」という言葉は、
お子さまに、そうなってほしい(そのままでいてほしい)のならともかく、
そうでもないのなら、努めて発することのないようにしたいものです。
悪気はなく、「事実を言っているまで」なのかもしれませんが、
まさにその言葉が、お子さまをその言葉どおりにしているのかもしれません。
少しだけ、
お子さまが聞いている「言葉」に注意を向けて、
意識をしていくだけでも、
少しずつ、「現実」が変わっていきます。
騙されたと思って、試してみてください。
ほどなくして、
その試みの効果を、実感することができるかもしれません。
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